120㎡/江戸時代/射和町 個人
市指定(平成20年5月28日)
裏千家11代玄々斎と交友があり、数寄者として知られた豪商・竹川竹斎の創始による「射和万古」の窯跡です。現・射和小学校の敷地内、丘陵の南麓の傾斜地に、諸施設を備えた窯場のうち、連房式の本窯部分が残されています。上部は失われ、基底部が埋没しているものと思われますが、小面積ながらも原形が推定できますが、本窯以外の諸施設の場所は切り下げられ、射和万古操業時の施設として確認ができる唯一のものとなっています。
文久元(1861)年の『開墾茶桑園図帳』(射和文庫蔵)の絵図によれば、操業時のカマ(本窯)・カマ(錦窯)・細工場・サヤ蔵・カマ(絵付けの錦窯か)・土場・陶蔵・水溜が描かれています。
操業は安政3年(1856)から文久3年(1863)。製品は急須・油皿・丼・手塩皿・片口・鉢・植木鉢・土瓶・雪平・徳利・猪口・花入・油次・水指・香盒・灯籠・唐獅子などにおよびます。