屋台紹介Introduction of stalls

屋台の概要

射和町の6つの祭り組では、大屋台、小屋台をそれぞれ1台所有し、計12台。各組ごとに屋台を保管する蔵もあります。
黒漆塗りを施した屋台は、繊麗な真鍮金具が随所に打たれ、重厚感のある美しさ。いずれも車輪軸に土台を載せて床をつくり、欄縁を載せ、勾欄を組んだ二階建てです。上部は桁、張り、頭貫、棟木による構造で、桐油を屋根や庇に用いています。幕や提灯を付けて飾り付けをし、小屋台の屋根に設置する町印しの幟は、6組ともすべて竹川竹斎の筆で、赤字の羅紗に「奉慰神霊」と組名が金字で縫い取られています。
色彩に彩られた華やかさ、提灯に浮かび上がる優艶な美しさで、今も昔も、多くの人々を魅了し続けています。

香椎組(上之町)

大屋台に「寛政五年癸丑(1793)六月吉日」の墨書きが残されています。鬼板の文様は牡丹、懸魚は菊。人形は神功皇后(じんぐうこうごう)、応神天皇(おうじんてんのう)、武内宿禰(たけのうちすくね)と、3体並びます。屋台後部に掛けられる見送り幕には富士に龍を描きます。小屋台の鬼板文様は獅子で、懸魚は菊。

高砂組(御蔵町)

大屋台は天保14年(1843)6月に製作されたもので、鬼板は唐獅子の文様で、懸魚に牡丹が下がります。人形は夫婦和合・偕老長寿の象徴である高砂の尉と姥の2体が配置され、胴幕は浅黄地に波と千鳥、見送り幕にも高砂の尉と姥が描かれています。小屋台の鬼板文様は獅子で、懸魚は菊。

三栗組(中之町)

安永9年~天明元年(1780~1781)製作の大屋台は、町内で最も古い年代です。鬼板の文様は赤い牡丹を飾り、懸魚に対の牡丹が破風板に下がります。中の人形は『三国志演義 』に登場する関羽(かんう)と張飛(ちょうひ)で、人形も一番古いといわれています。小屋台の鬼板文様は獅子で、懸魚は菊。

八雲組(下之町)

大屋台は江戸末期製作のもの。唐破風は紅で、眉の色は輝かしい金、鬼板には五瓜に桔梗の文様で、懸魚には緑鮮やかな蓬と華やかです。中には武者人形と松を飾り、胴幕は青地に力強い八雲の文字が赤色で書かれています。小屋台にも五瓜に桔梗の文様が天平大雲に囲まれています。

素鵞組(裏町)

大屋台は、文化年代ごろ(1810)の製作。鬼板の文様は菊で、懸魚にも菊をあしらっています。中には1体の武者人形。見送り幕がゴブラン織風のオランダ更紗で草花の文様。勾欄は欄間風で波に千鳥を透かし彫りが施されてます。小屋台は昭和初年につくられ、鬼板文様は獅子で、懸魚は牡丹。

宮本組(新出町)

大屋台は安政4年(1857)のもので、五月人形の後ろに松と武者人形を飾り、歌舞伎舞台のよう。鬼板の文様は象眼で、懸魚に牡丹。胴幕は青地に力強い八雲の文字が赤色で書かれています。小屋台の鬼板文様は菊で、懸魚は菊水。二階床板の裏に、明治7年の墨書きがあります。