4基/室町時代/射和町 蓮生寺
市指定(昭和56年8月28日)
蓮生寺境内の真盛上人の供養碑1基、墓地内の宝篋印塔2基と板碑1基、計4基が石塔群として指定され、内3基に造立年次の銘があります。
蓮生寺は聖徳太子の開基と伝えられ、鎌倉時代には般若院として曹洞宗に属します。その後の火災で堂宇を消失しますが、明応3年(1494)、巡化のため射和を訪れた、真盛上人(1443〜95)により再建され、寺号も蓮正寺と称し、天台宗真盛派に改めました。
真盛上人供養塔……総高111cm。6段に積まれた200体余りの石地蔵群の上に置かれた五輪塔婆。地輪には、真盛上人が亡くなった年に当たる明応4年(1495)の銘があります。
宝篋印塔……総高158cm。基礎に「正勢が願主となり僧・尼僧・石匠が賛同して永和二年(1376)に造立した」との意味の銘があります。伏鉢(ふせばち)から上は後補。
宝篋印塔……現高93cm。基礎に「盛俊が願主となり僧・尼僧五十余人が逆襲のため永正十五年(1518)に造立した」との意味の銘があります。相輪(そうりん)上半部と基壇(きだん)が欠如。
六字名号板碑……総高55cm。彫法により室町時代末期の造立と思われ、正面に「南無阿弥陀佛」と六字名号が刻まれています。