72点/江戸時代/射和町 個人
市指定(昭和56年10月16日)
古万古の再興と殖産興業の理想をかかげた竹川竹斎(1809~82)が開いた窯です。安政2年(1855)の冬から翌年春にかけて、邸内に小規模な窯を築いた竹斎は、陶器の試作を始め、会下前(えげまえ)(現射和小学校裏)に登り窯を築造し、安政3年(1856)、本格的に創業を開始しました。
「今は世に万古の方を知るもの我より外になし」とまで自負した竹斎の古万古再興にかけた意欲は、窯に集まった陶工の面々を見れば歴然。絵付師の服部閑鵞(かんが)や陶工の井田己斎(きさい)(下総)、植島弥兵衛(江州信楽)、奥田弥助(伊賀丸柱)、近藤勇(京焼の名手)らを呼び寄せ、茶碗、急須、徳利などの日用品から、燈籠、茶道具に至るまで、多種多様の製品を製造しました。やがて経営不振に陥り、7年後の文久3年(1863)に廃窯。
竹川家に残る灯籠、唐獅子等の作品25種42点、万古型13種30点、総数72点が美術工芸品として指定されています。