起源は、射和軽粉(けいふん)で成功した射和の豪商(冨山家、竹川家、國分家等)が江戸、京都に進出したことで、祭りも京都の祇園祭りを取り入れ、元禄時代から盛んになりました。
射和町は6町内(6組)に分かれ、各組ごとに大小の屋台(山車)を一基ずつ計12基持っています。
伊佐和神社には、元禄時代の作と、明治時代に更新された2基の神輿があります。
午後1時、小屋台6台が國分家前に集合し、伊佐和神社まで巡行、参道に勢揃いします。
午後2時ごろ、神事を終え、神霊を遷した神輿2基を男衆が担ぎ、小屋台とともに御旅所(大日堂)を目指して射和のまちへ繰り出します。新出町、裏町と町内を練り歩き、御旅所へ納まると神饌が供えられ、夕闇迫る頃にはいよいよ宵宮のクライマックス、大屋台の引き出しが始まります。
提灯揺れる大屋台から、祇園囃子を奏でる笛、太鼓、鉦の音色。御旅所に集合した大小華やかな屋台に、幻想的な世界に包まれます。
小屋台と神輿が御旅所から、朝9時に出発。下之町、中之町、御蔵町、上之町を巡行します。「チョウサーヤー」の掛け声勇ましく、神輿が左右に大きく揺れる「横ゆすり」、地面すれすれに上下に揺らす「縦ゆすり」が男衆によって繰り返され、見る者を楽しませてくれます。
夜8時、延命寺山門前から紋付き袴の御神人を先頭に、高張り提灯に囲まれた神輿と、明かりを灯した小屋台が、暗闇を巡行し、まるで絵巻のような美しさ。夜が更けるのを惜しむように、まちを進みます。
夜10時をまわると、神輿を送った小屋台は各組へ帰り、神輿は神社に戻り、還御します。